ナイロンの靴下

対日講和条約、日米安全保障条約の調印・発効をめぐって国中が揺れた昭和26年から27年にかけては、経済のさまざまな側面で戦前(昭和9~11年頃)の水準を回復した時期でもありました。


生活にも、ようやく向上の兆しがみえ、人びとの関心は、「食」の充足から「衣」の改善へ向かい始めた。


事実、消費生活のなかでは、この時期、もっとも改善をみたのが衣料品でした。


本来、外貨獲得のため、輸出向けに生産されていた綿布が、26年秋以降の輸出不振のあおりをうけて、どっと国内市場に出回った。


時期、粗悪品の代名詞のように思われていたスフ(ステープル・ファイバー)や人絹の品質改良もすすみ、これに対する需要も高まってきました。


なかで、注目すべきは、ナイロン繊維の登場でしょう。


この時期、ナイロン・ブラウスやナイロン靴下が発売され、早くも流行の兆しをみせ始めているのです。


現在のように、お見合いパーティー 大阪などが少ない時代の話です。


ちょっとしんみり(´・ω・`)その6

前回の続きです。


重い物をヒョイと持ち上げようとするを、普段はおだやかなジャンが珍しく声を荒らげて叱る。


「自分が大事な体ってことをもっと気づかったらどうだ」ムッとした表情になりだまりこくってしまう。


これは風向きが悪いと私たちもこの日は早めに別れを告げてパリに戻ってきました。


それから数ヵ月たった一昨年のクリスマス。


いつものようにレオナールの写真を添えたクリスマスカードが届きました。


「先日、無事、男の子が誕生しました。○○○と名付けました」1たったそれだけ、あっさりと赤ちゃんの誕生を知らせるメッセージが末尾にありました。


母性にあふれる世の母親たちにどちらかというと気押され気味の私は、のクールな母性に、実は結構励まされるところがあるのです。

ちょっとしんみり(´・ω・`)その5

自分の気分の変化を充分に自覚しているは「そもそも妊娠に向かない女だからこうなる」といいました。


「妊娠中こそ幸せに輝き、慈愛に満ちて心優しくなる女性もたくさんいるけど私はまるで正反対。


いやな女になるって自分でもわかってるからあまり人にも会いたくないの」私が返事に窮してまごついていると、「感じ悪くてごめんなさいね」と、ぶっきらぼうにつけ足しました。

ちょっとしんみり(´・ω・`)その4

母乳は最初からまるでやる気はなく、薬で母乳の出を止め、ミルク一筋で育てたレオナール。


それも産後一ヵ月たつかたたないかのうちに早くも赤ん坊と向き合うだけの一日に嫌気が差し、乳母を見つけて自分は店の仕事に早々と復帰しました。


そういうことの一切を称して「私は母性の乏しい女」だと彼女はいうのでありますが、なるほど今回の妊娠期間中に会ったは、いつになく不機嫌で何だか恐かった。


友人の死と自分の妊娠が重なることによるイライラや気の重さを、まるでとりつくろおうともしないその裸の率直さが、確かにちょっと恐かったんですよね。

ちょっとしんみり(´・ω・`)その3

いつもはアルジェリアの太陽のように明るいも、この時ばかりは苛ついてギスギスしていました。


そんな折り、は自分の妊娠に気がつきました。


レオナールを生んだ時から既に五年。


「もうこりごり」と思った出産と育児だったが、レオナールが一人っ子ではかわいそうというのと、子供好きの夫の強い希望があって不承不承ながら今回の決意に踏み切ったのだといいます。


前回の時はつわりもきつく、しかもその後は「狂ったように食べまくって」25キロ近くも体重が増えてしまったため、かなりの難産だでした。

ちょっとしんみり(´・ω・`)その2

恒例のマダガスカル出張に出掛けた友の留守を守っていたが受け取った知らせは、旅先での彼の突然の死だったのです。


ダイビング中の心臓麻痺、ということでした。


まだ四十歳そこそこだった友の急な計報に、だが悲しんでばかりいる暇もありません。


覚えたばかりの旅行ビジネスをこれから一人で切り盛りしていくのか、それとも彼の家族にでも一切を手渡してしまうか。


膨大な事務処理に忙殺され、眼の下にくまをつくっていたは、いつものように、いやいつも以上にきつく髪をひっつめ、その年の休暇に予定していた初めての海外旅行、仕事にも役立つようにとマダガスカル島行きを計画、もキャンセル。

ちょっとしんみり(´・ω・`)その1

彼女は仕事のパートナーでもあった友人を事故で亡くしています。


マダガスカル諸島を専門とする旅行代理店を一人で地味にやっていたその友人が、業務拡張のためをパートナーに誘ってからまだ一年ちょっと。


パートナーといっても共同経営者ではなく、雇われの身ではありますが、それまではあまり利益の上がらない小間物屋を隣村で経営していたは、これをよい機会に店をたたみ、その友人の誘いに応じた。


慣れぬ旅行業務や、コソピューターの操作を、だが案外と要領よく覚えたは、出張で留守がちな友人にとっての欠かせぬ片腕にあっという間に急成長。


「でないとわからないファイル」とか、「担当のクライアント」といった自分の領域がどんどん増え、いよいよこれから、と張り切っていたその矢先でした。

ふむふむ その10

Wallasは「政治の研究は今日不満足な状態にあります。

ヨーロッパおよびアメリカの国々を通じて、代議制民主主義は一般に最も優れた政治形態として受け入れられているが、しかしその実際の運営に最も多くの経験を有する人々は、しばしばそれに失望させられ、危惧を感じています。

・・・・・政治に関する諸労作において最近に人間性の諸事実に注意が向けられたことは多くない・・・」(G.Wallas、1908、石上・川口訳)と冒頭で述べ、A.Bentleyもまた、当時の政治学を「死せる政治学・・・統治諸制度の最も皮相的な性質の形式的研究」と鋭く批判しました。

その批判から生まれたものは、G. Wallasにあっては"人間性"研究の重視⇒実証的・理論的な政治意識論・政治行動論の系列であり、A.Bentleyにあっては政党、利益団体、マス・メディアなどの政治集団の重視⇒政治過程論の系列です。

インフレによって

最初は50パーセントの負担であっても、10年、20年後には所得の上昇、インフレによってだんだんと負担が軽くなっていくという期待がそこにはある。


アイゲンハイム促進に対しては、前にも少し触れたが、SPDの、特に左翼部分の人達はその過度の促進に反対しています。


その促進は、税金をもって比較的に所得の高い人に対して援助を行っているのであって、むしろ、社会借家住宅の建設を行い、低収入の人に対して利益がもたらされるようにすべきであると主張しています。


しかし、同政党内部でも意見の対立があり、SPDの右翼部分、さらに合同政権担当政党であるFDP(自由民主党)、野党のCDUという部分は、アイゲンハイムの公的促進を支持しています。


これは、"浸透効果"、つまり、ある人がアイゲンハイムを建設すると、ある低家賃の住宅が明けられることとなり、そこに低収入の人が入居できるという効果を狙っての立場です。


また、アイゲンハイム建設の場合には、個人の建設資金が多く投入され、国からの資金はデスクトップ仮想化で済むという狙いもあります。

ふむふむ その9

政治学研究の大転換期の到来をシンボライズするArthur BentleyのThe Processof Governmentもまた、1951年に発表されたDavid B.TrumallのThe Governmental Process:Political Interestand PublicOpin-ionによって意識的に継承されるまで専ら批判の対象となった。

A.Bentleyは政治哲学や記述・形式主義からの離陸を主張し、測定と事実の重視を強調しました。

この考え方の背後にあったのは政治権力の大衆的基盤の拡大とそこから派生する政治の複雑化・巨大化・動態化という政治の現実とフォーマルな三権分立論に依拠した制度的アプローチの説明能力不足という政治学の実状との大きなギャップでした。

彼のプラグマティックなリアリズムは具体的にはミ集団が適切に述べられた時、すべてが語られるミという表現にうかがえます。

ここでは旧来の「個人対国家」から「集団」が研究視座の中。

心に据えられ社会学的方法の採用が示唆されています。

フォーマルな政治制度を無視し、実際的な統治プロセスに研究者の関心を集中させようという彼の主張は静態的な伝統的アプローチが政治研究の主流を占めていた発表時(1908年)そのあまりの斬新さのゆえに無視と批判を生み出しただけでした。

しかし、政治システムのダイナミツクな作動過程の理解が何よりも要請されるに至っている今日では高く評価されています。